狐狸鱼

日语综合教程第五册第五课木的叶的鱼

发布时间:2022/7/25 18:06:12   
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アイは、貧まずしい漁師りょうしの娘むすめでした。

爱是一个穷苦的渔家女儿。

その漁師りょうしの家いえの貧乏びんぼうさかげんといったら、財産ざいさんは何一なにひとつなく、借かり物ものの小舟こぶねが一いち艘そうに、借かり物ものの網あみが、たった一いち枚まいあるだけでした。

要说这个渔家到底有多穷,那即是,没有任何家财,所占有的,惟独借来的小船一艘,借来的鱼网一张。

それなのに、子供こどもばかりは十じゅう人にんもいて、おまけに、その子供こどもたちを養やしなう父親ちちおやは、病気びょうきばかりしているといった具合ぐあいでした。

纵然如许,家里再有十个儿童,火上浇油的是,负责养家重担的爸爸,还不停身段不佳。

さて、その家いえの一番いちばん上じょうの娘むすめのアイが年頃としごろになって、いよいよどこかにお嫁よめにやらなければならなくなった時とき、母親ははおやは自分じぶんの娘むすめをつくづくと眺ながめて考かんがえました。

话说,这个渔家的长女爱到了该出阁的年事时,妈妈便发端细致思虑着自家女儿的一生大事。

こんなに色いろが黒くろくて、书院がっこうにもろくに行いかなかった娘むすめを、もらってくれる人ひとがいるだろうか……

“像我家女儿如许皮肤墨黑,又险些没何如上过学,会有人家要末······”

それでも、自分じぶんの娘むすめは、なんとか幸しあわせになってほしいと願ねがうのが親心おやごころというもので、アイの母親ははおやは、村むらの人ひとに会あうたびにこんなふうに頼たのんだものでした。

话虽如斯,不幸天下父母心,做父母的老是期望自家的儿童也许过的欢乐。恰是如斯,爱的妈妈每当碰见村里的人,城市委托道:

「うちのアイに、お婿むこさんを探さがしておくれ。ご覧らんのとおりの貧乏人びんぼうにんで、仕度したくはなんにもしてやれないが、嫁入よめいりの時ときには、とっときの道具どうぐを一ひとつ持もたせてやるつもりだから」

“费事您给我家爱引见个婆家吧!您也懂得,咱们家很穷,虽说给不起甚么值钱的嫁装,但真到出嫁的时光,确定会有一个奥密欣喜的!”

村むらの人達ひとたちはふんふんと頷うなずきましたが、アイの家いえの山やまほどの借金しゃっきんの事ことを思おもい出だして、誰だれ一人ひとり本気ほんきでアイのお婿むこさんを探さがそうとはしませんでした。

村民们虽屡屡颔首,满口允诺,可一料到爱家里那聚积成山的内债,谁都不会果然想替爱引见个婆家。

ところが、このアイを大だい喜よろこびでもらおうという人ひとが出でてきました。それは、遠とおい山やまの村むらから時々ときどき野菜やさいを売うりにやってくる婆ばあさんで、山番やまばんをしている自分じぶんの息子むすこの嫁よめに、ぜひアイをほしいと言いい出だしたのです。その婆ばあさんの話はなしはこうでした。

但是,一个给了爱无穷欣喜的人呈现了。她即是来自悠远山村,时常常过来卖菜的妻子婆,她期望爱能成为她的儿媳,嫁给她看管山林的儿子。妻子婆的话是这么说的:

「貧乏びんぼうはお互たがい様さまだ。アイちゃんみたいに働はたらき者ものの娘むすめをうちの嫁よめさんにもらえたら、どんなに助たすかるかしれない。仕度したくはなんにもいらないから、体からだ一ひとつで来きておくれ」

“咱们谁也别嫌谁家穷。像小爱如许干练活的儿童若是嫁到咱们家,那可就太好了!嫁装甚么的就不必了,人来就够了!”

これを聞きいてアイの母親ははおやは大だい喜よろこびしました。願ねがったりかなったりの話はなしだと思おもったのです。

听了这些,爱的妈妈特别欢乐,心想,这真是梦寐以求的事务啊!

こうして、それからいくらも経たたないうちにアイは、山やまからやって来きた行商ぎょうしょうの婆ばあさんに連つれられて、まだ見みたこともない人ひとのところへ嫁入よめいりすることになったのです。

就如许,从那此后没过量久,爱就被从山那处过来做贸易的妻子婆带着,去嫁给一个以至连一面都没见过的人。

いよいよアイが村むらを離はなれる前まえの晩ばんに、母親ははおやは古ふるい鍋なべを一ひとつ出だして来きてこう言いいました。

终归到了爱临行前的谁人黄昏,妈妈拿出来一柄旧锅,说道:

「いいかい、アイ、これがお前まえのたった一ひとつの嫁入よめいり道具どうぐだよ。汚きたない鍋なべだけれど、これ一ひとつがお前まえを幸しあわせにするからね」

“就如许吧,爱,这个即是你独一的嫁装。纵然不过一柄脏兮兮的锅,可这是独逐个个能给你带来欢乐的东西。”

アイは、ぽかんと母親ははおやを見詰みつめました。母親ははおやはそのアイの耳みみに口くちを寄よせて、鍋なべの蓋ふたをそっと開あけました。

爱听了这话后,呆呆的看着妈妈。妈妈把嘴靠近爱的耳边,微微地揭幕锅盖,说道:

「これから母かあさんの言いう事ことをようく覚おぼえておくんだよ。これは不思議ふしぎな鍋なべでね、この中なかに山やまの木この葉はを二に、三さん枚まい入いれて蓋ふたをして、ちょっと揺ゆすって又また蓋ふたを開あけると、木この葉ははすばらしい焼やき魚ざかなになるんだよ。そこに文旦ゆずでも絞しぼって食たべてごらん。そりゃもう、とびきりの御馳走ごちそうだから」

“妈妈上面说的话,你要好好的记取。这是柄奇异的锅,在锅内里放进两三片山里的树叶,关上锅盖,轻微摇下锅,再翻开,树叶就会变为可口的烤鱼。再榨点文旦汁放出来就可以吃了。如许,一顿迷人的可口就做成了!”

アイは目めを丸まるくして、そんな不思議ふしぎな品物しなものが、一体いったいどうして自分じぶんの家いえに合あったんだろうかと考かんがえました。すると母親ははおやはアイを両手りょうてで抱いだき寄よせてささやきました。爱听得束手无策,想,如许奇异的物件,到底为甚么会呈如今本人的家里。这时,妈妈将爱揽入怀里,柔声说道:「この鍋なべには母かあさんの祈いのりがこもっているんだよ。お前まえが幸しあわせになるように、母かあさんは百ひゃく日にち、海うみの神様かみさまにお願ねがいして、この鍋なべをもらったんだから。“这口锅里然则盛满了妈妈的祷告呀!为了你也许欢乐,妈妈向海神经久不息的祷告,海神才赐予这口锅给我。だけどね、このことをようく覚おぼえておおき。あんまりやたらにこの鍋なべを使つかってはいけないよ。なぜって、この鍋なべには入いれられた木この葉はが焼やき魚ざかなに変かわる時ときに、海うみではちょうど同おなじ数かずの魚さかながお前まえのために死しんでくれるんだからね。然则呢,有件事要好好记取,万万不能随意行使这柄锅。由于当放到这口锅里的树叶变为烤鱼的时光,海内里就会有不异数目的鱼由于你而死去。

その事ことを考かんがえて、この鍋なべは嫁入よめいりをした首先さいしょの晩ばんと、それから本当ほんとうに大事だいじな時ときにだけ、使つかうんだよ」

介于这个出处,这口锅惟独在你嫁以前的第一个黄昏,再有即是真实危难的时间,才也许行使。”アイは頷うなずきました。母親ははおやは鍋なべをていねいに風呂敷ふろしきに包つつんで、アイに手渡てわたしました。爱点了颔首。妈妈慎重地把锅包在累赘里,递给了爱。こうして、鍋なべを一ひとつ抱かかえただけの海うみの娘むすめは、お姑しゅうとさんの後のちについて旅立たびだったのです。就如许,只带着占有海之奥密的锅的爱,跟着婆婆踏上了行程。

長ながい道程どうていでした。

那是一段悠久的路啊。

?二人ふたりはバスに三さん時間じかんも揺ゆられたあと、石いしころだらけの山道さんどうを何なん時間じかんも歩あるきました。おろしたての草履ぞうりが磨すり減へって、鼻緒はなおが切きれるくらい歩あるき続つづけた時とき、やっとがけの下したの小ちいさいな家いえに着つきました。?

两人通过三个小时车程的摇动,走了不知多久弥漫碎石的山路。哪怕新穿的芒鞋被磨薄,鞋带被磨断却仍要走个不断。终归,他们到达了山角下的小屋子。

それは緑みどりの木漏こもれ日びに包つつまれた茅舍根くさやねの家いえでした。家いえの前まえには高たかい朴ほうの木きと小ちいさな葱ねぎの畑はたけがありました。

那边绿树成荫,阳光穿过绿叶丝丝缕缕得洒在茅舍顶上。家门口是宏大的厚朴和小片儿的葱田。「ここだここだ。ここが、わしらの家いえだ」とお姑しゅうとさんが言いいました。アイは目めをぱちぱちさせて、「いい家いえですねえ、立派りっぱな屋根やねですねえ」といいました。“即是这边,即是这边啦!这边啊,即是咱们的家了!”婆婆说。爱眨巴眨巴眼睛说:“这屋子真好,屋顶真艳丽!”。

アイが今いままで住すんでいた海うみの家いえはトタン葺ふきで、屋根やねには石いしがたくさんのせてあったのです。それに比くらべると、この茅舍根くさやねはなんとどっしりとぶ厚あつくて、温あたたかい感かんじがするんだろうかとアイは思おもいました。

爱迄今为止住在海边的家是用铁皮做墙,砌石为瓦的,跟外家比拟,这类茅舍顶显得那末的雄厚、平稳,爱设想着,住在这边该是如许的和暖啊!

すると、その家いえの戸とががらっと開ひらいて、これはまた、どっしりとしてあったかい感かんじのする若者わかものが顔かおを出だしました。若者わかものはアイを見みると、それはいい感かんじに笑わらったものですから、アイは一目いちもくでこの人ひとが好すきになりました。

就在这时,屋子的窗户嘎吱一声开了,接着呈现了一张给人发觉沉着而又和气的年老的脸。年老人望见爱,报之以柔柔的笑貌,即是这一笑,让爱对他一见醉心。

その夜よる、アイは母親ははおやからもらった鍋なべを使つかって、とびきりおいしい魚さかなの打点りょうりをこしらえました。

就在这个星夜,爱拿出妈妈给她的锅,做了一餐可口的烤鱼。

鍋なべの中なかに、朴ぼくの葉はを三さん枚まい並ならべて蓋ふたをしてちょっと揺ゆすって、又また蓋ふたを開あけると――

在锅里并排放入三片厚朴的树叶,关上锅盖,微微的摇一摇,再揭幕锅盖——どうでしょう。鍋なべの中なかにはカレイが三さん匹ひき、ちょうどいい具合ぐあいにこんがりと焼やけていたのです。何如样了呢?锅内里三条鲽鱼,用恰到长处的火候烤好了。アイは、焼やきたての魚さかなに塩しおを振ふり掛かけてお皿さらにのせて食卓しょくたくに運はこびました。打点りょうりの上手じょうずなお嫁よめさんが来きたことを、アイの夫おっとはただもう喜よろこびました。けれども、お姑しゅうとさんは箸はしを動うごかしながら首くびを傾かたむけました。爱把烤鱼撒上一层盐,盛在盘子里端上餐桌。娶了个厨艺好的子妇,爱的夫君不过天果然欢悦,但是她的婆婆却边举箸而食边歪头寻思。

(はて、これはどうしたわけだろう。魚さかなはどこで手てに入いれたんだろう。たしかに、この娘むすめは鍋なべ一ひとつしか持もって来こなかったのに……)

(哎呀呀,这到底是何如回事儿?她这鱼到底是从哪儿弄来的?这女人切实只带了一口锅来啊···)

けれども、お嫁よめさんはそれっきり、鍋なべを高たかい戸棚とだなにしまいこんで使つかおうとしませんでした。

然则,只此一次,新妇就把锅收到了高高的橱柜上,再也不必了。静しずかで安宁へいわな日々ひびが過すぎて行いきました。山やまではふくろうが鳴なき、鳩はとが鳴なき、きつねが鳴なきました。そんな動物どうぶつたちの声こえをアイは聞き分きわけることができるようになりました。寂静而友爱的日子一天又一天的渡过。山里猫头鹰的啼声,鸽子的啼鸣,狐狸的声响此起彼伏,爱也徐徐也许分辩出这些动物的声响。

朝あさは早はやく起おきて水みずを汲くみ、昼ひるは畑はたけを耕たがやし、夜よるは機織はたおりをして、毎日まいにちせっせと働はたらいて、春はるが過すぎて行いきました。

晨雾单薄时吊水,天气辉煌时耕田,夜幕到临后唧唧复唧唧,就在如许天天充裕的做事中,春日急促而过。

ところが、その年としの夏なつは雨あめが多おおく肌寒はださむく、めったに晴はれる日ひはありませんでした。そのために秋あきになっても山やまの木この実みは実みのらず、丹精たんせいした畑はたけの做物さくもつも腐くさってゆきました。

然则,这一年的炎天霪雨霏霏,寒意四起,险些觅不着晴天的影迹。于是,到了秋日,山里的树不成果,经心耕种的田不产粮,农事也烂在地里。

おそろしい飢饉ききんがやって来きたのです。

惧怕的饥馑终归来了。

長ながいあいだアイの一家いっかは、乏とぼしい食たべ物もので食くいつないできましたが、とうとう細ほそい薩摩芋さつまいもが一册いっぽんしか残のこらなくなった時ときに、お姑しゅうとさんは青あおい顔かおをしてアイに言いいました。

爱的家里曾经很长一段时光靠着贫饔的食品牵强生存,可也究竟到了连一个小芋头都不剩的地步,这个时光爱的婆婆乌青着脸对爱说:

「いつかの魚さかなの打点りょうりを做つくってもらえないかねえ。もう食たべ物ものは何なににもなくなってしまった」

“甚么时光做顿鱼给咱们吃啊!家里曾经断粮了!”

その目めは、あの鍋なべの奥密ひみつをちゃんと見抜みぬいているように思おもわれました。アイは頷うなずきました。こんな時ときには海うみの神様かみさまも許ゆるしてくれると思おもったのです。

爱点颔首,心想,看状态,锅的奥密曾经被懂得了,在这类机遇用锅,海神确定会包涵的吧!アイは家いえの外そとへ出でて行いくと、木この葉はを三さん枚まいとって来きて鍋なべに並ならべました。それから蓋ふたをしてちょっと揺ゆすって、また蓋ふたを開あけると鍋なべの中なかには、すずきが三さん匹ひきじゅうじゅうと焼やけていました。爱走出了家门,摘了三片树叶并排放在锅里,关上锅盖,微微摇一摇,再揭幕锅盖的时光,锅内里三条滋滋做响的鲈鱼方才烤好。

それを三さん枚まいのお皿さらにとりわけながら、アイは真まっ青さおな秋あきの海うみを思おもい浮うかべました。アイは自分じぶん達たちのために命いのちを捨すててくれた三さん匹ひきの魚さかなにそっと手てを合あわせました。

爱把鱼盛到三个盘子里的时光,秋日里蓝得精湛的大海在她的脑海里波浪澎湃,爱双手合十,寂静地为这三条由于本人和家人而丢失性命的鱼而默哀。

雑木林ぞうきばやしの向むこうに住すんでいる隣となりの家いえの人々ひとびとがやって来きたのは、それからしばらくあとのことでした。

住在杂树林当面的邻人们过来了,那是这此后未几的事务。

今いまごろ、魚さかなの焼やけるにおいがするので、ちょっと寄よってみました。この飢饉ききんに一体いったいどこで魚さかなを手ての入いれたのか、それを聞きこうと思おもって――

如今这类时光,居然再有烤鱼的香味,确定要以前看看。在这类饥馑的年纪里,到底从那处弄来的鱼呢?他们都想懂得这个谜底---おどおどとへつらうように隣となりの人ひとは言いいました。これを聞きいてお姑しゅうとさんは、アイに魚さかなを焼やくように言いいました。そこでアイは、又また木この葉はをお客きゃくの数かずだけ鍋なべに入いれました。听了邻人们两面三刀的谄媚话后,婆婆把爱烤鱼的事务说了出来。如斯一来,爱只好又把刚巧和来宾数目同样的树叶放入锅里。

「さあさあ、遠慮えんりょなく食たべていってください」とお姑しゅうとさんは言いいました。お客きゃくは大だい喜よろこびで魚さかなを食たべて帰かえったのです。

“来,来,众人不要谦和,纵然吃好了!”婆婆如斯说道。来宾们也欣喜若狂地饱餐而归。ところが、困こまったことになりました。但是,费事发端了。

あの家いえに行いけば、魚さかながただで食たべられるという噂うわさが、村むらから村むらへと広ひろまり、遠とおい道みちを歩あるいて飢うえた人達ひとたちが、アイの家いえをたずねてくるようになったのです。

唯有去那家,就有管饱的鱼吃。这类传言在村里村传说得满城风雨,远道而来饥饿的人们发端联贯不断的造访爱的家。

アイは、朝あさから晩ばんまで台所だいどころに閉とじこもって、木この葉はを鍋なべに入いれては魚さかなの打点りょうりを拵こしらえました。

爱从早到晚的在厨房杜门不出,把树叶放在锅里变为烤鱼。

ああ、これで何十なんじゅう匹ひき、海うみの魚さかなが死しんだろうか……そんなふうに思おもいながら、それでもアイは手てを休やすめることができませんでした。魚さかなを食たべたい人達ひとたちは、それでもアイは手てを休やすめることができませんでした。魚さかなを食たべたい人達ひとたちは、あとからあとからやって来きましたから。

哎呀!这么一来,又要有几十条海里的鱼要死啊!纵然这么想,爱只可少顷不断的做,由于要吃鱼的人们老是一拨儿接着一拨儿来。

ある日ひ、とうとうお姑しゅうとさんが言いいました。

终归有一天,婆婆启齿了。

「こんなときにただで魚さかなを振舞ふるまうこともあるまい。うちも貧乏びんぼうなんだから、魚さかな一いち匹ひきにつき、米べい一合いちごうでも、大根だいこん一册いっぽんでも、いくらかのお金かねでも、もらったらいいと思おもうが……」

“这类时光不能再免费给他们鱼吃了!咱们也是穷汉家,一条鱼他们给咱们一斗米也好,一个萝卜也好,不论几何都行,好歹得给点啊···”

これを聞きいてアイはすぐこう答こたえました。

听了这些,爱不假思考的答道:

「あの鍋なべはやたらに使つかってはいけないと、里さとの母かあさんに言いわれました。ただで魚さかなを上あげるのならまだしも、お金かねや物ものと交換こうかんするのでは、海うみの神様かみさまにすみません。鍋なべに入いれた木この葉はの数かずだけ海うみでは魚さかなが死しぬのだと聞きいています」

“我外家的妈妈劝解过我,谁人锅是不能随意用的。免费款待人家鱼吃还马轻率虎能说以前,若是花钱也许东西换的话,就对不起海神了,由于传闻会有和放进锅里的树叶同样数目的鱼死去。”

すると、お姑しゅうとさんは笑わらいました。

「山やまの木この葉はと海うみの魚さかなはおんなじことさ。山やまの木この葉はが取とっても取とってもなくならないように、海うみの魚さかなだって、なくなりゃしない」

可婆婆却笑了起来。“说到海里的鱼和山里的树叶同样的话,山里的树叶是取之不尽的,那海里的鱼也同样用之不休吧!”

横よこからアイの夫おっとも口くちを合あわせました。

「そうとも。海うみの魚さかなは山やまの木この葉はとおんなじだ」

爱的夫君也在傍边众口一词的插话道:“对,即是如许,海里的鱼跟山里的树叶是同样多的。”仕方しかたなく、アイは又また台所だいどころに入はいって行いって、魚さかなの打点りょうりを拵こしらえ続つづけたのです。ああ、せつないせつないと思おもいながら、何百なんひゃく枚まい何千なんせん枚まいの木この葉はを鍋なべに入いれ続つづけたのです。没想法,爱只好又回到厨房,赓续做着烤鱼。唉,一边伤心的就要窒塞,一边少顷不断的把上百片,以致上千片树叶投入锅里。

林はやしの中なかの小ちいさな家いえは、やがて魚さかなのにおいでいっぱいになりました。それにつれて、家いえの中なかは米べいや豆まめや野菜やさいや果物くだものでいっぱいになりました。

丛林里小小的家中,很快又满盈了鱼的香味。伴有着这香味,家里全是米呀,大豆呀,蔬菜呀,瓜果之类的东西。

魚さかなを食たべたいばかりに、人々ひとびとはとっときの食たべ物ものを持もってやってきたのでしたから。そのうちに、アイの夫おっとは山番やまばんの仕事しごとをやめました。お姑しゅうとさんも畑はたけ仕事しごとや縫ぬい物ものをやめました。

这是由于人们为了吃鱼,纷纭带着收藏的食品而来的出处啊!正因如斯,爱的夫君也辞去了看管山林的处事,婆婆也不再干农活,不再补缀衣物。

アイの夫おっとは、時々ときどきもらいものの野菜やさいや豆まめをかごに入いれて麓ふもとの村むらに売うりに行いきました。

爱的夫君时常常的把人家给的蔬菜,大豆之类的东西服在筐里拿到山角下的乡村里去卖。

そうして、いくらかのお金かねを做つくっては戻もどって来きたのでしたが、ある日ひのこと、アイに一いち枚まいの美うつくしい着物きものを買かってきたのです。

就如许,爱的夫君赚了些钱归来并在某天,给爱买了一套俊丽的和服带回家。

それは白地しろじに、椿つばきの花はながほとほとと散ちっている着物きものでした。その花はなびらの、ぽってりとした赤あかがアイの心こころをくすぐりました。ま新あたらしい着物きものを手てにしたのは生うまれてはじめてのことでしたから。

那是件素淡的,弥漫了山茶花的和服。那敦朴的血色花瓣撩动着爱的心弦,这然则爱有生以来第一次收到崭新的和服啊!

アイは涙なみだが出でるほどうれしいと思おもいました。突つき上あげてくる喜よろこびの渦うずの中なかで、アイは海うみの神様かみさまへの後うしろめたさも里さとの母親ははおやの注视ちゅういもさらりと忘わすれました。

爱欢乐得眼泪都快出来了,陶醉在欢乐的旋涡当中不成自拔,关于海神的抱歉之心,外家妈妈的警告都一古脑儿的抛在了脑后。

新あたらしい着物きものを抱だき締しめて、この鍋なべがお前まえを幸しあわせにすると言いった母ははの言葉ことばはこういうことだったかと自分じぶんなりに解釈かいしゃくしたのです。

爱紧抱着极新的和服,妈妈所说的“这口锅也许给你带来欢乐”的话本来是这个意义,爱给这句话付与了本人的注解。

それからというもの、アイは喜よろこんで魚さかなを焼やくようになりました。

从那此后,爱发端带着欢悦的神情烤鱼。

アイの家いえに魚さかなを食たべに来くる人々ひとびとの群むれが細ほそい山道さんどうにひしめきました。アイの家いえはどんどん豊ゆたかになり、アイは美うつくしい着物きものを何なん枚まいも持もってるようになりました。

到爱家里吃鱼的人们络绎不断,让狭隘的山路很是拥堵,爱一家过得徐徐敷裕,爱也占有了好几套俊丽的和服。

そうして、それから、どれほどの月日つきひが過すぎたでしょうか。

激はげしい雨あめが丸々まるまるなのか降ふり続つづいたある明あけ方がたのこと――

就如许,从那此后,又过了几何个日日月月呢?那是暴雨连结下了七个日夜的时光了——

三さん人にんはドドーッという不気味ぶきみな音おとを聞ききました。それから、家いえがぐらりと大おおきく揺ゆれるのを感かんじました。

三人闻声了使人惧怕的咚咚的声响,接着,俄然觉得衡宇猛烈的摇动。

「山崩やまくずれだ!」アイの夫おっとが叫さけびました。

“山塌方了!”爱的夫君叫喊起来。「後うしろの崖がけが崩くずれてくる!」とお姑しゅうとさんも叫さけびました。“反面的山崖也塌了!”婆婆也叫了起来。

たちまちのうちに、院子てんじょうがメリメリと鳴なり、柱はしらが揺ゆれました。

转片时,天花板就发出咯吱咯吱的声响,柱子也摇动起来。

ああ、家いえが潰つぶれる……もう逃にげることもできずにアイの夫おっとが畳たたみの上うえに蹲うずくまった時とき、いきなりアイが言いったのです。

「いいや、違ちがう……」と。

啊!屋子崩塌了···曾经逃不出去的爱的夫君跌坐在榻榻米上,冷不防的,爱说道:“不,不是······”それからアイは院子てんじょうを見上みあげて、「あれは海うみの波なみの音おとだ」とつぶやきました。而后爱仰头看着天花板,“这是海里的波浪声。”爱喃喃地说。「波なみの音おと?波なみの音おとがどうしてこんなところまで聞きこえるものか」「そうとも。お前まえの空耳そらみみだ」“波浪声?波浪声何如也许在这个场合听到!”“是啊,是你的幻听吧!”

けれどもこの時とき、アイは懐なつかしさに躍おどり上あがり、髪かみを振ふり乱みだして戸口とぐちに駆かけていたのです。そうして、カタリと戸とを開あけると――どうでしょう。

但是就在这时,兴趣像害怕甚么似的跳了起来,头发疯乱的飘动着奔向大门。接着,哗啦一声拉开了门——何如样了呢?

山やまの木きもれ陽ひとそっくりの色いろをした海うみの水みずが、ゆらゆらと家いえの中なかにあふれこんで来くるではありませんか。

这不是和山里树木浓荫中透出的点点阳光一模同样的波光粼粼的海水么,正在不疾不徐地摆荡着沉没全面房间啊!「ほうら!」とアイは叫さけびました。それから、上うえを見上みあげて何なにもかもを知しったのです。なんとアイの家いえは、海うみの底そこに沈しずんでいたのです。“看呐~”爱叫喊着,接下来仰头一看,便懂得产生了甚么。不知为甚么,爱的家,居然沉入了海底。一体いったい、どういうわけでそんなことになったのか分わかりません。大おお津波つなみでも起おきて、遠とおい海うみが山やままで押おし寄よせてきたのか、それとも海うみの神様かみさまの大おおきな手てが、この小ちいさな家いえをつまみ上あげて海うみの底そこに沈しずめてしまったのか……到底为甚么会产生这类事务曾经无从得悉。到底是产生了大海啸,悠远的海洋涌向了山之国家呢?照样海神的大手将这小小的家捏起来沉入海底了呢?

それにしても、海うみの底そこに沈しずめられても、三さん人にんは苦くるしくも寒さむくもなく、ただ、堅田かただがいつもより少すこし軽かるいだけでした。

话虽如斯,纵然沉入了海底,三人都既没觉得悲凉也没觉得严寒,不过,身段比往常轻微轻了一点云尔。

三さん人にんは戸口とぐちのところに集あつまって、呆気あっけにとられて上うえを眺ながめました。

三人聚在大门口,呆呆的瞭望着水面,期望着谁能把他们救起。

この家いえを覆おおっていた緑みどりの木この葉ははみんな生いきた魚さかなになり、群むれをなして泳およいでいくところです。

缠绕着衡宇的绿油油的树叶整个都变为了游弋着的鱼,三五成群的游动着。しばらくその美うつくしさに見みとれたあと、お姑しゅうとさんがため息いきをついて言いいました。こんなところに沈しずめられて、この先さき、どうやって生いきていったらよかろうかと。在被这美景少顷的吸引此后,婆婆哀怨的说,“沉在这类场合,这节骨眼儿上,到底该何如活下去啊!”

この時ときです。アイはずっとずっと上うえの方ほうで、誰だれかが自分じぶんを呼よぶのを聞ききました。

「アイ、アイ、こっちへおいで」

就在此时,爱闻声来自水面的不知是谁的呼叫。“爱,爱,到这边来。”温あたたかいやさしい声こえでした。「アイ、アイ、こっちへおいで」「ああ、母かあちゃん!」那是和煦而又柔柔的声响。“爱,爱,到这边来。”“啊!妈妈!”

思おもわずアイは両手りょうてを上あげました。それから、よくよく目めを凝こらすと、網あみが――そうです。まぎれもなく、アイの家いえの継つぎ接はぎだらけの借かり物ものの網あみが頭あたまの上うえいっぱいにひろがっているではありませんか。

爱潜意识及第起双手,接着,细致的凝睇着,那是网——是的,这切实是爱外家那七拼八凑而来的鱼网,在爱的头上漫山遍野的罩下来!「父とうちゃんの舟ふねがきてるんだ」とアイは叫さけびました。“是爸爸的小船过来了”爱叫喊着!

「父とうちゃん母かあちゃん、網あみで引ひき上あげておくれ。私わたし達たちを助たすけておくれ」

アイは駆かけ出だしました。続つづいて、アイの夫おっとお姑しゅうとさんもアイの後のちを追おいました。

“爸,妈,快点把网进取拉,把咱们给救出去!”爱奔了出去,爱的夫君和婆婆也牢牢的跟在爱的死后。

ゆらゆら揺れるゆれる緑色みどりいろの水みずの中を、三人は両手りょうてを広げてひろげて走り続けましたはしりつづけました。

在摆荡着绿色的水中,三人伸开双手驰骋着。こんぶの森もりを通りました。サンゴの林はやしもわかめの野原のはらも通とおりました。網あみはどんどん大きく広がって行き、海うみ所有ぜんたいをすっぽりと覆おおい尽つくして行いくようでした。穿梭了海带的丛林,横跨了珊瑚的树林,跑过裙带菜的草原。网渐突变大变宽,像是要把大海整个包住、尽数笼罩同样。

お昼ひるを過すぎて夕ゆう暮ぐれが近ちかづいて、海うみの底そこに射さし込こむ陽ひの光ひかりが緑みどりから紫むらさきに変かわる頃ころ、三人の体からだはいきなりふうっと浮き上がりました。まるで三匹の魚のように。

从晨光奔到日暮,在射入海底的阳光由绿变紫的时光,三人的身段俄然呼的一下浮了起来,具体即是变为了三条鱼。

三人は網を目掛けてのぼって行きます。両手を広げてゆらゆらとのぼって行きます。

三人向着网逆流而去,伸开双手摇摇曳摆地溯流而上。

イの母親のやさしい声が、おいで、おいでと呼んでいます。もうすぐ、もうすぐなのです。

爱的妈妈那和顺的声响在呼叫,过来啊,过来啊!快了,就快了······预览时标签不成点收录于合集#个

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